切なさと温もりと

 

 

 今日も相沢さんの部屋で私は抱かれています。

「あふ……相沢さん、相沢さぁん!」

 今この家にいるのは私と相沢さんだけです。後ろめたい気持ちをどこかに追いやって行為に没頭する私。服を脱いだときに感じた寒さもすでになく、薄くピンクに染まった肌から汗が浮き出しています。

「あっ、天野……」

「ふ、ううん……」

 上になった相沢さんの首にすがりついて、貪りあうような獣のキス。

 私と相沢さんがこうなったのはいつからでしょうか。

 真琴に対して申し訳ないという気持ちと、真琴に対する嫉妬のようなもやもやが心の中でせめぎあって、それを吹き飛ばしたいがために体を重ね合わせる。

「ああっ、気持ちいいです……」

「くっ、そろそろ限界だ……」

 相沢さんの動きが激しくなってきました、私もそれに応えるように相沢さんの首にぎゅっとしがみつきます。そうしないとどこかに飛んでいきそうで怖い。

「あっ、あーっ、きゃん、ふぅん」

 私のアソコは私のものではないように振るまい、相沢さんの性器をもてなそうといやらしく絡みついています、そして同時に自分にもしっかりと快感を与えていました。

 やがて低くうめくと共に私の中で相沢さんの性器が大きくなって、

「ああぁーーーーっ!!」

 そして、弾けました。

「……はあっ、はあっ、はあっ……」

 心地よい気だるさの中にたゆたう私の意識の隅で相沢さんの性器が引き抜かれていくのを感じています。

「悪い、中で出しちまった……」

「いえ、いいですよ……」

 ぼんやりと天井を見上げながらベッドに大の字になって息を弾ませる私の隣りに、相沢さんの横たわる気配。

 自然と温もりを求めて体を寄せていく自分がいました。

 

 

 この街にも遅い春がやって来ていました。

 けれど春を待ち望んでいたあの子は帰ってくることもなく、私と相沢さんを取り残して景色を変えていく。

 表面上は変わらないふうを装っていた相沢さんがとりおり見せる弱さ、それが私だけに対してなのかと思うたびに、私は誰に対してかも分からない小さな優越感を抱いていました。

 学年が上がって相沢さんと話す機会が増えて、そしてふたりだけで出かける回数も増えて。それが二桁にのぼるころには私たちは結ばれていました。

 正直成りゆきみたいな感覚もあったのかもしれません。でも今はこの感覚を手放したくないのです。

 

 

 日曜日、今日も相沢さんの家に遊びに行く約束をしています。鏡の前で慣れないお化粧をして念入りに服装のチェックをして。

 今までこのようなことがなかったので家族にもうすうす気がつかれているのでしょう。母から譲ってもらった香水がその証かもしれません。私はそれをありがたく使わせてもらい、準備を終えて立ちあがりました。

 

 

 相沢さんの家にお邪魔するのも久しぶりかもしれません。

 うきうきするような気分であれこれ思いを巡らせているとあっという間に相沢さんのお家です。少しもったいなかったかも。

 玄関先でひとつ深呼吸をすると私はインターフォンを鳴らしました、あの人の姿を願って。しかし期待に反してドアを開けたのは水瀬先輩だったのです。

 

 

「どうぞ」

 リビングに通された私は居心地の悪いものを感じながら、じっとソファーの隅に腰かけました。やがてお盆を手にした水瀬先輩が台所から現れ、私は勧められるままカップに口をつけます。

 口の中にふわっと広がる紅茶の香り。詳しい事は分かりませんが普通に市販されているものとは一味違っている気がします。なんだかやすらぎを与えてくれるようです。

「どうかな?」

 そう聞くと、向かいに座った水瀬先輩は香りを楽しむように自分のを鼻先に近づけました。

「……おいしいです」

「ふふ、よかった。天野さんって味にうるさそうな気がしたから少し心配だったんだよ。気に入ってくれたようだね」

 さりげなくソーサーに戻す姿も私と違って絵になっています。男の方もやはり私なんかよりも水瀬先輩に目を向けるのでしょうね。

「そんなことは……ありませんよ」

 そう答えたところで私は小さな違和感を感じました。顔を上げてこちらから話しかけてみることにします。

「それで相沢さんはいつ頃戻られるのでしょうか?」

「う〜ん、ちょっと分からないなあ」

「……暖かくなってきましたね」

「そうだね。デパートで春物が安くなっていたから香里でも誘って買いに行こうかな」

 とりとめのない会話をしているうちにようやく気づきました。水瀬先輩は私と目を合わせようとはせず、微妙に視線を逸らしていることに。

「祐一が世話になっているみたいだね」

 ……やはり避けています。

「いえ、お世話になっているのは私の方です」

「ふうん」

 そして感情の見えない平坦な声、なんだか責められているみたいです。その裏に隠された感情は……そうなのでしょうね、きっと。

 やはりこの人も……。

「……ずるいよね」

 ……なのでしょうか。

「え?」

 はっと顔を上げると初めて水瀬先輩はまともに私を見ていました。

 でもそれは……。

「真琴ならしょうがないかなと思っていたんだ。ここに慣れてきてわたしも妹のようにかわいらしく思ってきたところだったからね」

「…………」

 そのような目で私を見ないでください。

「だけど7年前から祐一のことをずっと好きだったわたしが、どうしてこんな思いをしなくちゃいけないのかなあ?」

「み、水瀬先輩……」

「わたしって嫌な子だね、それなのに祐一に対して普通に接しているんだ……でもね、そろそろ限界かな」

「え、それって……」

 こんな饒舌な人だとは思いませんでした。もっとのんびりした人だと思っていたのに。

「ねえ、どうやって祐一のことを誘惑したの? わたしに教えてくれないかな? こうやって見ていると天野さんってすごく大人しそうに見えるんだけど、やっぱり人は見かけによらないってことなのかな」

 明らかに刺を含んだ言葉が投げかけられると、さすがに黙ったままではいられませんでした。

「なっ!? そんな言い方!」

 声を荒げて抗議しようとしたまさにその時、玄関が開く音がして聞き慣れた声が聞こえてきます。

 思わず言葉を飲み込んでしまいました。 

「ただいま〜、って名雪に……天野」

 その代わり一瞬にして表情を変えた名雪さんがにこやかに返事をしています。

「あ、おかえり〜……祐一がいなかったからわたしが代わりにおしゃべりしてるんだよ、ねえ、天野さん?」

「えっ? ええ、はい……」

「ふ〜ん、悪かったな、ちょっと買い物に出かけてたんでな。荷物置いてくるからそこで待っててくれ」

 相沢さんがいなくなるとすっと水瀬先輩が無表情なものに変わります。そう、かつての私を思わせるような。

「わたしってこう見えても陸上をしているんだよ」

「え?」 

 突然の言葉に戸惑った私は間抜けな返事しか返すことができませんでした。いったい何を意図しているのかを掴めずに瞬きをするだけ。

「部長として頑張ってきたけど、今度の大会が最後なんだよね、そしたら後輩たちにバトンを渡して部活は終わり」

「はあ」

「ふふ、分からないのかなあ?」

「なにがですか?」

 なんだか小ばかにされたようなニュアンスを感じて私の語気が荒くなるのを抑えられませんでした。

「祐一と一緒にいられる機会が増えるんだよ。そう、これからは帰りも一緒、百花屋にも寄ったりして進路を語らって」

 ずきっ。

 楽しげな水瀬さんの言葉に追い詰められていく私。どっちが恋人なのか判りません。

「髪を切らないでよかったよ……天野さん、今までありがとうね」

「え……?」

 すでに言葉を返す気力を失っていました。

「祐一も紅茶飲む? わたしが淹れてきてあげるよ」

「ん? ああ、悪いな」

「……ごめんなさい。私、帰ります」

「お、おいっ、天野どうしたんだよ」

「うん、天野さんさようなら」

 にこやかに手を振る水瀬先輩の顔を見ていられなくて、心配げな相沢さんの言葉を振りきって私は外に飛び出しました。

 

 

「……私はこれからどうしたらいいのでしょう」

 結局私が辿りついたのはものみの丘。思い出と決別したはずなのに、思い出にすがってしまう、私はなんて弱い人間なのでしょう。

「なんだか寒い……」

 誰もいない、誰も見ていない、ただ私がそこにいるだけ。

「私は邪魔な人間だったのですね……」

 涙が……。

「ううっ……ぐすっ、嫌です……嫌なんです」

 しゃがみこんで顔を押さえて私は泣いています。

 別にいいんです、あの時からここは私が泣いていてもいい場所なんですから。どのくらい私の涙を受けとめてくれたか分からないこの丘が私にはお似合いなんです。

 でも……。

「ぐすっ……」

「こんなところにいたのか……」

「あ……」

「まさか、名雪がな」

「相沢さんは鈍いです……」

 私だって名雪さんだけではないことを知っているのに。 

「ああ、そうみたいだな」

 こうしていつも飄々としているんです。でもさりげない優しさが心地よくて。

「いいんですよ、水瀬先輩は私と違って綺麗ですし……私と違って……」

「天野の泣いている顔なんて初めて見たな」

 陰に隠れてよく見えませんでしたけど、優しい笑顔を浮かべているのは分かります。

「相沢さぁんっ!」

「名雪に何を言われたか知らんが、気にするな。俺は迷惑だなんて思ったことは一度もないぞ。それどころか感謝しているんだ」

「好きです、好きなんですぅ! いけませんかっ!? いけないのですかっ!?」

「俺も好きだよ」

「もう一度お願いしますっ! いえ、何度でも……」

「美汐……」

「祐一さぁん!」

 この時ほどこの温もりを心強く思ったことはありませんでした。

 

 

 

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